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初めて暮らした外国フィリピンで、治安について考える

この記事を書いた人
Kumi

2014年1月よりデジタルノマド的に海外放浪生活を送っています。現在10年め。COVID-19の間はタイに留まっていました。その間に最愛の猫夫に出会ってしまう。
色んなところにちょっとずつ住んでみる、短期旅行でも長期滞在でもない感じが好き。現地SIM好き。

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こんにちは、くみです。

今いるフィリピンは初めて『暮らす』外国です。
暮らすとなると、やはり短期旅行とは違った観点で色々見えてくるわけで、その中の一つに『治安』があります。

豪華な誕生日パーティから思う、治安の感覚

先日フィリピンの方に招かれて、誕生日パーティに行って来ました。
こちらの有名なディスコのプライベートルームを借りきってやるというもので、30人くらい来ていたのかな。日本でも見たことのないような立派な誕生日パーティでした。

ディスコと聞いてクラブの大きなホールで人がひしめき合ってるみたいな想像をしていたので、危ないかなと思って防犯のためにiPhoneを持っていかなくって、なので残念ながら写真がないのですが…(今考えると用心しすぎだったかな…)

外はバーやビリヤード場やダンスフロアのある巨大な夜遊び場になっていて、野外ステージなんかもあってバンドがずっと演奏しているような所だったんですね。
もう深夜になっていたのですが、まだまだたくさん人がいるんです。日本の常識だと『深夜の盛り場=危ない』、ですよね。ましてここはフィリピンです。

なので、連れてきてくれたフィリピンの子に「ここは危なくないの?安全なの?」と聞いてみたんです。
そうすると彼女は、「安全だと思いますよ。お金のない人はここには来ないからね」と言ったんですね。

その言葉に、「安全」という感覚について日本人の感覚とは違うものが含まれているなと感じて、ちょっと考えてみました。

犯罪が起こる因子、犯罪を起こす因子

日本の場合

日本では「悪い事をする人は個人の性格の問題」という感覚が強いんじゃないかと思います。
「犯罪者は(私たちとは違う)、悪い人」という意識。

日本で考えたら、例えば深夜に六本木のクラブで遊んでいたら(私はそういうタイプじゃないので、した事ないけど…)周りの人にお金があろうがなかろうが『安全ではない』ですよね。酔っ払った人や性行為目当ての人に絡まれるかもしれない。違法薬物を売っている危ない人がいるのかもしれません。(実情全く知らないのですけど…)

フィリピンの場合

でもこっちでは、もちろん性格的な場合もあるかもしれないけど、犯罪が起こるというのは基本的に『貧富の差』に基づいていると感じるんです。
『性格的に悪い人』ではなく『貧しい人』が犯罪を行う。

だから、冒頭に書いたディスコは『お金のない人はここに来ていない』から『安全』
その感覚が、日本とは違うな、って。

経済状況と犯罪

もちろん、どの国でも、貧しくてもそのような道に入らずに清貧に生きる人も確実にいます。私も所持金が少ないからって人のものに手を出そうとは思わない。

なんていうか、これは割合の問題で…、
ある一定の割合で『お金がある状態では犯罪に手を染めないけど、貧困下では犯罪に手を染める』というグレーゾーンが、人種にかぎらずあるんだと思うんですね。それは日本人だって本当はそうなんだと思う。

だけど日本に生まれたら、多分、生活の最低ラインが開発途上国と比べてかなり高い。
例えば教育で言うと、フィリピンでは経済的な状況から高等教育に進めない人たちがかなりいますが、日本で経済的に苦しくて高校に進めない、小学校でドロップアウトする、という人は、いなくはないですが、かなり少ないです。

(データの参考を付け足します。:知られざるフィリピンの教育問題と就労問題の裏側

なので、『もし開発途上国に生まれたら犯罪に手を染めていたかもしれない』という人でも、日本では環境のおかげでそうならなかった、という事なのかもしれない、という事なんじゃないかなって。

開発途上国では、最低と中間の間がものすごく広くて、日本の環境であればグレーだった部分もブラックになってしまうから、「貧困による犯罪」が増えて、治安というのが「貧富に基づく」という事象が増えるのかなと。

『この国の人』が危ない、わけじゃない

レッテルを貼るというのは自分の頭を使わなくてもいい楽な事なので、私たちはすぐにしがちですよね。
『開発途上国の人は危ない』みたいな。『フィリピン人に気をつけろ』。(これはベトナム人の友だちに言われた事ですが…。)

でもそうじゃなくって、
『特定の人種や特定の人間が犯罪を犯すような性格的な因子を持っている』というわけではなくって、

『環境や状況がそうさせるんだ』という事について意識していたら、
不必要にレッテルを貼って失礼なことを言ったり相互理解を妨げたりする事も減るだろうし、
治安に気をつける時も『どういう場合にどういう相手に気をつけたらいいのか』、本当の意味で分かってくると思うんですよね。それは自分のためにもなる。

国が違う、環境が違う相手に対して、どう考えるのがいいのか

ベトナムにいた時も、今ここにいる時も思うけど、
基本はみんな同じ人間なんだと、環境や状況、文化、慣習、そして個人の性格という色々な因子によっていろんな人がいるんだ、
って思います。

そして大多数の人の環境というのは国の状況によるし、それは政治と経済の分野で、末端で暮らしている私達にはそれに対して何かするという事がなかなか難しい。

住ませてもらっている外国人の私たちが出来る事は、
相手に対するリスペクトを持ち、文化や慣習を尊重し理解する姿勢を持ちながら、今の環境に対して慎重に自分を合わせていく
という事なのかなと、今私は考えています。

※ もちろんすべての事象には例外があり、サイコパスのようなパターンは上記で書いた限りではないですし、その考えを否定するものではないです

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